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理不尽という名の羅針盤 – 人生を深く耕す「視点の転換」

人生は、時に荒波のように予測不能な出来事の連続です。

その中でも、私たちの心を深く揺さぶるのが、道理に合わないと感じる「理不尽」との遭遇でしょう。

幼い日のささやかな出来事から、社会の荒波にもまれる中で直面する大きな壁まで、私たちは常に何らかの理不尽さと対峙しています。

時には、矛盾する要求に翻弄され、「一体どうすればいいのだろう?」と立ち尽くしてしまうこともあるかもしれません。

しかし、視点を意識的に切り替えてみることで、これまで不条理に感じていた出来事の中に、私たちが人間として成長するための貴重な示唆が隠されていることに気づかされます。

例えば、幼子が誤ってミルクをこぼし、母親に叱られた経験は、社会におけるルールや他者への配慮といった「やってはいけないこと」を肌で理解する最初の機会だったと言えるでしょう。

しかし、その時、父親が「大丈夫だよ」と優しく声をかけたとしたら、それは失敗しても受け止められるという安心感を幼い心に育んだかもしれません。

この二つの異なる反応に、絶対的な正解など存在しないのです。

小学生の頃、「困っている人がいたら助けなさい」と教えてくれたおばあちゃんの温かい言葉と、「知らない人に声をかけられたら、まずは逃げなさい」という学校の安全指導。

これら一見矛盾する教えも、状況を多角的に捉え、自らの判断で行動することの重要性を、私たちに静かに語りかけていたのかもしれません。

ここにも、画一的な正解は存在しないのです。

さらに、社会人になり、入社式で社長から「自分で考え、自分で決めて行動できる社会人になりなさい」と激励されたにもかかわらず、配属後には直属の上司から「勝手に動くな!指示された通りに、正確に動きなさい」と指導される。

この一見矛盾した状況は、「個として主体的に動く」ことと「組織の一員として協調する」ことの、繊細なバランス感覚を体得するための試練と捉えることができるのではないでしょうか。

コーチングの現場では、このようなクライアントさんの経験を丁寧に傾聴することからはじまります。

感情的な反応に寄り添いながらも、良い悪いという二元論ではなく、客観的に状況を理解し受け入れることで、これまで見過ごされてきた新たな解決策や、深い学びが自然と浮かび上がってくるのです。

このプロセスは、家庭における「子育ての軸」となる価値観や、会社における「社是」や「理念」、そして「パーパス」が、一貫した行動原理を持つことの重要性を示唆していると言えるでしょう。

私たちには、迷いや不安を感じた時に立ち返ることができる、羅針盤のような軸となる考え方が必要なのです。それは、共に進む「同志」としての連帯感を生み出す力にもなります。

理不尽な出来事に遭遇した時、私たちが主体的にできることは、その状況を単に嘆き悲しむのではなく、「なぜ、このようなことが起こったのだろう?」「この経験から、私は何を学び取るべきなのだろう?」「今後の人生において、どのような心構えを持つことが大切なのだろう?」と、自らに深く問いかけることです。

このような内省を繰り返すことで、理不尽に感じられた出来事は、私たちを一段階成長させるための、貴重な糧へと変わっていくのです。

もちろん、すべての理不尽を受け入れる必要はありません。

時には、毅然と「NO」と表明する勇気も必要です。

しかし、避けられない理不尽に対して、立ち止まって視点を変え、その奥に潜む学びの機会を捉えようとする能動的な姿勢こそが、私たちの人生をより深く、そして豊かにしてくれると、私は信じています。

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